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瞑想オカン

ヴィパッサナー瞑想修行に勤しむ四十路オカンの日記

「怠け」の正体

怠けとは欲である、という話を聞いたことがある。人は気力が出ない、動くエネルギーがないから怠けるのではなく、「何もしないという状態にとどまっていたい」という欲に動かされ、強大なエネルギーを傾けて怠けている、というようなことだ。 「怠けは欲だ」…

狡猾な怒り

人間には三つの「悪」があるという。 一つめは欲、二つめは怒り、三つめが無知。全ての人にこれら三つの悪が備わっているが、どれが強く現れるかは人それぞれのようだ。そして、その傾向によって瞑想修行のテーマも微妙に変わる。 私のテーマは間違いなく「…

心を留める

ヴィパッサナー瞑想を始めたばかりの頃、腹の膨らみ凹みに心を留めておくことができなかった。 自分はそうしようと思っているのだが、心は勝手にあちこちへ散らばってしまう。その原因がいわゆる「無我(あるいは非我)」にある、ということが腑に落ちてから…

ヴィパッサナー冥想で何を「観る」のか

ヴィパッサナーで観る対象は、大きく四つある。 一つ目は身体、二つ目は感覚、三つ目は心、四つ目は法。身体を観るのは身随感、感覚を観るのは受随感、心を観るのは心随感で、法を観るのが法随感。 私が漫才師なら「そのまんまやんけ!」とツッコミを入れる…

「引き戻し」のプロ

悩みや苦しみから自由になるためのたった一つの方法は、悩んだり苦しんだりするのをやめること。 なにを禅問答みたいなことを…と思われるかもしれないけれど、突き詰めて考えるとそういうことになるのではないかと思う。 悩んだり苦しんだりするのをやめられ…

「無我」の理解

「無我」を理解するはじめの一歩は、「『自分』は自分が考えていたような『自分』ではなかった」というような感覚だったと思う。 「自分」の中には複数のいろんな「自分」がいて、そういうたくさんの自分の合議制で「自分」というものが成り立っている。この…

妄想を止める

何年も前に読んだ「一秒」禅という本に、「思うて詮無きことは思わず」という言葉が紹介されていた。「考えても仕方のないことは考えない方が良い」という意味で、「なるほど、確かにそうだな」と感銘を受けたが、その一方で「そうは言っても、その『考えな…

自己主張という屁

自分の意見を主張するのは、放屁によく似ていると思う。「我がものと 思えば愛し 屁の臭い」という川柳もあるように、自分の主張は自分にとって好ましいものだし、言いたいことを言えば思い切り屁を放った直後と同じようにとてもスッキリする。しかし、主張…

連想ゲーム

バスなどを待つ間に手持ち無沙汰な時間ができると、連想ゲームをすることがある。連想ゲームといっても「りんごは赤い、赤いはポスト」…というあの遊びとは少し違って、ふと意識に上ったものから連なるように出てくる記憶や感情の流れを観察するようなことだ…

転換点

ヴィパッサナー実践の進み方は、人それぞれなのだろうと思う。 いつ、どんな変化がどのように起こり、どういう経緯を経て心が救われるのか…ある程度の目安はあるのかもしれないが、「必ずこうなる」という定石のようなものはおそらくないのだろう。 他人の心…

瞑想と奇跡

いつだったか息子を呼んで折り紙を取り出し、「お母さんがポンと手を叩いたら、この紙が半分になるよ〜」と言いながら手を叩き、叩いた後で紙を手で折ってみせたことがある。ワクワクした顔で見守っていた息子は、「えー、自分で折るなんて詐欺やん!」と鼻…

冬の朝の憂鬱

冬の朝は寒いので、布団から出るのが億劫になる。加えて日の出が遅いため、目覚めの頃には太陽が顔を出していない。人間の身体は日光を浴びてセロトニンを合成するそうなので、薄暗い冬の朝に「なんとなくやる気が出ない」という気持ちになるのはやむを得な…

変化と共に居る

今日は年に一度の健康診断を受けてきた。私はたいして健康に気を使っていない割に、自分でもやんなっちゃうくらい病気をしない。生まれつき脳の真ん中に嚢胞があるのを除けばこれといって大病を患ったことがないし、健康診断でも再検査の指示が出たことはな…

ヴィパッサナーと慈悲の心

このところ「他者の心の流れを観る」ということにチャレンジしている。 「観る」といっても他者の心が実際に読めたりするわけではないため、正確には「想像する」というのが近い。「視覚が何かを捉え、捉えたことを認識し、認識したものを判断し、そこから何…

因果を観る

私は根っからの仕事人間で、暇でブラブラしているよりは仕事をしていた方が気分がいい。 しかし、それでもしばしばなんとなく仕事をしたくないな、と感じることがある。 考えてみれば昼間フルタイムで働いた上に夜も週末も物書きをしているわけで、疲れが溜…

凪いだ心

つい最近、私の身辺にとんでもない出来事が勃発した。このような場で嬉々として語るような話ではないため詳細は伏せるが、これがドラマなら私の立場にあるキャストは泣きわめき、自分の境遇を呪い、世をはかなんで出家でも考えかねないようなゴツいやつだ。5…

呼吸の中の輪廻

ヴィパッサナーの座る瞑想では、第一に呼吸を観察する。観察の仕方にはいくつか流儀があるようだが、私がやっている方法では、呼吸によって膨らんだりへこんだりする腹部が最初の観察対象になる。 腹部は息を吸うと膨らみ、息を吐くとへこむ。その動きを、「…

感覚の分解

私は昔から体が硬く、正式な結跏趺坐というのを組むことができない。仕方がないので胡座(あぐら)をアレンジしたような座り方で座る瞑想をやっているのだけれど、どこかで血行や神経が圧迫されるのか、一時間くらい座っていると、いわゆる「痺れ」が生じて…

異常感覚とヴィパッサナー

これはわかる人にしか分からないのではないかと思うのだが、私には幼い頃から、「体の感覚が左右均等に起こらないと落ち着かない」という奇妙な性癖があった。右手で触ったものには左手でも触れたくなるし、右足で踏んだものは左足でも踏まないと気が済まな…

マナーと怒り

周囲の人に不快な思いをさせないように心がけるのは大切な事だ。だから、それを広く啓蒙することにも何かしら意義はあるのだろうけれど、私自身は、そばで誰が何をしていようとそれに動じない心が欲しい。 何を好み、何を不快に感じるかは人によってまちまち…

フィルタ越しの真実

ヴィパッサナーで座る瞑想をする時に、呼吸によって膨らんだり凹んだりするお腹の動きを観察する。座り始めは、「自分の一部に腹がある」という感覚があるのだが、時折、腹の膨らみ、凹みが風船のように膨らんでいき、腹の中…というか、腹の膨らみ凹みの中に…

タイムラインの自我

ブッダは「自我は幻である」とを説かれたそうだが、最近は脳を研究する学者の間でも、同じようなことが言われ始めているらしい。fRMIのようなツールが登場したことで、脳のどの部分がどんな心の働きに関係しているのかを視覚的に把握できるようになり、たと…

心のからくり

瞑想に真面目に取り組むようになってから距離を置いていた音楽に、最近、また少しずつ親しみ始めている。距離を置こうと思ったのは、音楽に引きずられる感覚を疎ましく感じたからで、また聴いてもいいかなと思ったのは、引きずられそうになる心を引き戻して…

外側と内側

心の流れを慎重に観察しつづけていると、外側から受ける刺激と、それによって内側に生まれる感情とが別のものだということが徐々に分かるようになってくる。 それはたとえば、電車の中で電話している人を見て不愉快な気持ちになった…という時に、「電話をか…

3.99Kmの瞑想

ちょっと思うところがあって、ここ3週間ほど帰宅後に一時間ほど歩いている。息子たちがいれば一緒に歩き、誰もいなければ一人もくもくと歩く。 息子ととりとめもないおしゃべりをしながら歩くのも楽しいが、一人ならひとりで、ゆっくり歩く瞑想に取り組むチ…

ゆでたまご

朝食にはゆで卵を食べることが多い。卵はどちらかといえば固ゆでが好みで、水から入れて強火で15分ほどゆで上げる。その日も卵と水を鍋に入れて強火にかけ、タイマーを15分にセットしてスタートボタンを押そうとしたところで、「そういえば、なぜ私は強火で1…

「抜苦与楽」

一年ほど前のことになるが、タイで修行をしておられるプラユキさんという僧侶の方にお目にかかったことがある。 私はヴィパッサナーを書籍で学び、初心者瞑想指導の会というのに一度だけ出席した後は、基本的に一人で瞑想修行を続けてきた。瞑想会や合宿のよ…

「良し悪し」という概念

私が初めてヴィパッサナーを知ったのは2011年頃の事なので、なんだかんだで6年近くヴィパッサナーに関わってきたことになる。 といっても、初めの数年はそれほど真剣に取り組んでいたわけではない。 当初の「瞑想」は「ラベリングをしていればとりあえず頭の…

Interconnected

今日は朝から「デジタルで相互接続された世界における新たなビジネスリスクについて」というテーマの記事を書いていたのだが、先ほど情報の収集と整理が一段落し、記事の構成にもおおむねメドが立ったので、どれ、いっちょ気分転換に瞑想をするか…と座る瞑想…

慈悲と変容

先日、駅の待合室で座っていたら、泥酔した男性が入室してきて、見えない誰かを大声で罵倒し始めた。街へ出ればよくあることで、そういう時は目を合わせないようにして無難にやり過ごすのが、いつもの私のやり方である。 その時も手にしたKindleに目を落とし…

闘いからの卒業

生きている中でなにが辛いかといって、自分で自分を守ろうと必死になることほど辛くて苦しいことはない。 たとえば仕事でなにか失敗をして上司にこっ酷く叱られたようなとき、辛いのは失敗した瞬間でも叱られている間でもなく、「失敗して叱られている惨めな…

生活の中での瞑想

ヴィパッサナーを始めるまで、瞑想とは静かな場所で目を閉じ、じっと座ってやるものというイメージを持っていた。 確かにそういう瞑想もあるが、ヴィパッサナーとは詰まるところあらゆることに気づいてゆく瞑想なので、その気になれば起きているあいだ中、ず…

Twitter瞑想

長いことBlogの更新報告しか流していなかったTwitterを、最近またちょっと積極的に眺めるようになった。 ヴィパッサナー瞑想や初期仏教に関心のあるご同輩方と、Twitter上で緩やかな繋がりを持てたことがそのきっかけだ。 改めて使い始めてみて思ったのは、T…

無常、無我、苦

デジタルの時代に生きる私たちは、「無常」「無我」の真理に気づく糸口を得るということに関して、とても恵まれた環境にあると思う。 あらゆるものが刹那ごとに生滅を繰り返しているということは、コンピュータの中で展開される世界が実は0と1(電流のオンオ…

瞑想と姿勢/2016年8月31日 

なにか新しいことを学ぼうとする時、異なる著者が書いた複数の本を並行して読むクセがある。昔から「複数の異なる領域に共通する事柄は真理に近い」というような感覚が私にはあって、そうしたものに暗に影響されているのかもしれない。 一人の意見にはどうし…

2016年8月29日 痛みと痒み

座る瞑想をしていると、体のどこかに原因不明の痛みや痒みが現れることがある。 そういうとき、痛みよりも痒みの方が耐えるのが難しい。 痛みはじっと観察していればじきに消滅することが多い。しかし、痒みの方は大抵の場合、耐えられずに手を伸ばして掻い…

座禅会と瞑想

近くのお寺で早朝坐禅会をやっていると聞いて、後学のために参加してきた。 わざわざ外へ行かずとも、家で一人で座っていればいいようなものなのだけれど、たまにはそういう場へ出てみるのも勉強になるのではないかと思った。 坐禅は、経行(きんひん)と呼…

「かわいそうな私」

何か辛いこと、悲しいこと、悔しいことなどがあって思わず涙がこみ上げる…という経験は、多かれ少なかれ誰にでもあるのではないかと思う。 私の場合、そういう瞬間の心を観察すると、根底に「自己憐憫」が隠れているのがかすかに見える。 涙ぐむきっかけとな…

2016年8月14日 意識の粒

座る瞑想。 目を閉じてお腹の膨らみ凹みに集中し、心が静かになってくると、高速で明滅する意識の断片のようなものが見えはじめる。 意識というものは一本のシームレスな線のようなものだと、以前は思い込んでいた。 けれど、今感じていることが間違いでなけ…

2016年8月8日 立つ瞑想

明日、会社へ持っていくお茶を淹れるためにヤカンに水を入れて火にかけ、お湯が沸くまでの数分に立つ瞑想をする。立つ瞑想をしていていつも思うのは、なぜ体は目を閉じてじっとしていると前に倒れていこうとするのだろうかということだ。立つ瞑想だけではな…

五戒と八正道

五戒や八正道と瞑想修行は、切ってもきれない間柄にあるのだな、という事に最近ようやく気がついた。私がヴィパッサナーを始めたのは、ある人に対する激しい怒りと嫌悪感を鎮めるためだった。初めの頃は、言うなれば一種のアンガーマネジメントのようなつも…

2016年5月28日 重いのは身体ではない

身体が重い、ダルい、と言う表現をしばしば使うけれど、そういう時に重かったりダルかったりするのは、実は身体ではなく意識の方ではないのだろうかと、最近思うようになった。今日はちょっと疲れたな…という日に身体を観ていると、頭では「身体が重い」と思…

2016/05/09 慈悲の回路

慈悲の瞑想。毎朝、目が覚めると布団の中で慈悲の瞑想をする。かつては目覚めと共にスマホを手に取りSNSをチェックするのが日課だったが、それを慈悲の瞑想に置き換えた形である。瞑想で自分の心の動きを観察するようになると、心に何を入れるかに慎重になっ…

2016/04/29 痛みの入り口

座る瞑想。 瞑想を始めた途端に痛みや痒みが生じることがある。マハーシ長老の書かれた本には、「それらはもともと体の中に潜在していたつまらないもの」と書かれている。普段はもっと別の分かりやすい感覚に気を引かれて気づかないが、瞑想を始めるとそうし…

2016年04月23日 不殺生戒

不殺生戒を守ることは、ヴィパッサナー瞑想修行を進めて行く上で非常に重要なことだと思う。それが「人を殺さない」というだけのことであれば、さほど苦も無く守ることができる。けれど、生きとし生けるすべての命を殺さずに生きていくのは、口でいうほど簡…

2016年4月11日 「不快」の観察

立つ瞑想。今日はとても冷たい風が吹いていた。普通にしていると寒さに対する嫌悪感に流されて心に怒りが生まれてくるので、バス停でバスを待ちながら感覚を観る。風が吹き付けると顔や頭に「触れた」という感覚が生まれ、続いて「冷たい」「寒い」という感…

2016年4月7日 六門総動員

食事中の瞑想今朝、瞑想モードで食事をした後で、食事というのは、視覚、聴覚、味覚、臭覚、触覚、意識、仏教でいうところの六門を総動員して行う壮大なオーケストラのような行為だなぁとふと思った。食べ物を見て、フォークなどに刺して口元に運び、口に入…

2016年4月4日 思考への執着

座る瞑想。お腹の膨らみ、凹みの観察からなるべく意識を離さないよう努力するのだが、放っておくと意識は勝手にどこかへさまよってしまう。「一つながりの流れ」の中に漫然と居ると、気がつけば違うところに流されていた、ということになりやすいように思う…

2016年3月19日 メインの意識

座る瞑想。いつになく意識が散漫で、呼吸やお腹の膨らみ、凹みに気持ちをとどめておくのが難しい。膨らみ、へこみ、膨らみ、へこみ… と観察していたはずなのに、ふと気がつくと昔勤めていた会社の社長のことや、息子二人を連れてドライブしているシーンや、…

2016年3月9日 感情と感覚

座る瞑想。座る瞑想をしていると、心と身体が密接に結びついていることがよくわかる。ある種の感情が生まれると、それに対応する形で身体のどこかが反応する。例えば怒りが生まれると、眉間のあたりになにかエネルギーのようなものが集まる感じがする。不安…