瞑想オカン

ヴィパッサナー瞑想修行に勤しむ四十路オカンの日記

青い鳥

ヴィパッサナー瞑想は「気づきの瞑想」と呼ばれますが、瞑想する目的は気づくことそれ自体、あるいは気づきによって何かを「悟る」ことではなく、「今この瞬間に心を置き続けられるようになる」ことなのではないか――最近はそんな風に思うようになりました。 …

笑顔をおもう

最近、いわゆる「慈悲の瞑想」をあまりやらなくなりました。 そのかわり、というわけでもないのですが、ふと時間ができた時などに誰かの笑顔を思い浮かべています。 私が慈悲の瞑想をしていたのは、生きる上での苦しみを少しでも減らしたいという思いからで…

トグルスイッチ

思考することと「今」に意識を置くことは、トグルスイッチで切り替えられる電気回路の流れに似ていると思います。 思考モードにはまっている時は、「今」に意識を置けていない。今、この瞬間に留まっている時は、思考は姿を潜めている。 瞑想実践を始めたば…

現世欲との折り合い

「冥想によって到達する境地と現世欲との折り合いをどうつけるか」 …一般社会に身を置きながらヴィパッサナー冥想に取り組む方は、遅かれ早かれこの命題と向き合うことになるのではないかと思います。 ブッダは人を苦しめるのは煩悩である、と説きました。煩…

こま切れの涅槃

ヴィパッサナー瞑想で自分の感覚を観察し続けていると、「自分」というものに対する認識が徐々に変化していくのに気づきます。 私の感覚でいうと、それは次元を逆行していくイメージに近いかもしれません。 かつては立体であったものが、ある時点から時系列…

岸辺に上がる

少々思うところあって、しばらくブログの更新をお休みしていました。ブログから少し距離を置いてみて見えてきたことなどがあり、今日はそのことについて書いてみようと思います。 距離を置こうと考えたのは、思考への執着をなんとかしたいと思ったからです。…

「怠け」の正体

怠けとは欲である、という話を聞いたことがある。人は気力が出ない、動くエネルギーがないから怠けるのではなく、「何もしないという状態にとどまっていたい」という欲に動かされ、強大なエネルギーを傾けて怠けている、というようなことだ。 「怠けは欲だ」…

狡猾な怒り

人間には三つの「悪」があるという。 一つめは欲、二つめは怒り、三つめが無知。全ての人にこれら三つの悪が備わっているが、どれが強く現れるかは人それぞれのようだ。そして、その傾向によって瞑想修行のテーマも微妙に変わる。 私のテーマは間違いなく「…

心を留める

ヴィパッサナー瞑想を始めたばかりの頃、腹の膨らみ凹みに心を留めておくことができなかった。 自分はそうしようと思っているのだが、心は勝手にあちこちへ散らばってしまう。その原因がいわゆる「無我(あるいは非我)」にある、ということが腑に落ちてから…

ヴィパッサナー冥想で何を「観る」のか

ヴィパッサナーで観る対象は、大きく四つある。 一つ目は身体、二つ目は感覚、三つ目は心、四つ目は法。身体を観るのは身随感、感覚を観るのは受随感、心を観るのは心随感で、法を観るのが法随感。 私が漫才師なら「そのまんまやんけ!」とツッコミを入れる…

「引き戻し」のプロ

悩みや苦しみから自由になるためのたった一つの方法は、悩んだり苦しんだりするのをやめること。 なにを禅問答みたいなことを…と思われるかもしれないけれど、突き詰めて考えるとそういうことになるのではないかと思う。 悩んだり苦しんだりするのをやめられ…

「無我」の理解

「無我」を理解するはじめの一歩は、「『自分』は自分が考えていたような『自分』ではなかった」というような感覚だったと思う。 「自分」の中には複数のいろんな「自分」がいて、そういうたくさんの自分の合議制で「自分」というものが成り立っている。この…

妄想を止める

何年も前に読んだ「一秒」禅という本に、「思うて詮無きことは思わず」という言葉が紹介されていた。「考えても仕方のないことは考えない方が良い」という意味で、「なるほど、確かにそうだな」と感銘を受けたが、その一方で「そうは言っても、その『考えな…

自己主張という屁

自分の意見を主張するのは、放屁によく似ていると思う。「我がものと 思えば愛し 屁の臭い」という川柳もあるように、自分の主張は自分にとって好ましいものだし、言いたいことを言えば思い切り屁を放った直後と同じようにとてもスッキリする。しかし、主張…

連想ゲーム

バスなどを待つ間に手持ち無沙汰な時間ができると、連想ゲームをすることがある。連想ゲームといっても「りんごは赤い、赤いはポスト」…というあの遊びとは少し違って、ふと意識に上ったものから連なるように出てくる記憶や感情の流れを観察するようなことだ…

転換点

ヴィパッサナー実践の進み方は、人それぞれなのだろうと思う。 いつ、どんな変化がどのように起こり、どういう経緯を経て心が救われるのか…ある程度の目安はあるのかもしれないが、「必ずこうなる」という定石のようなものはおそらくないのだろう。 他人の心…

瞑想と奇跡

いつだったか息子を呼んで折り紙を取り出し、「お母さんがポンと手を叩いたら、この紙が半分になるよ〜」と言いながら手を叩き、叩いた後で紙を手で折ってみせたことがある。ワクワクした顔で見守っていた息子は、「えー、自分で折るなんて詐欺やん!」と鼻…

冬の朝の憂鬱

冬の朝は寒いので、布団から出るのが億劫になる。加えて日の出が遅いため、目覚めの頃には太陽が顔を出していない。人間の身体は日光を浴びてセロトニンを合成するそうなので、薄暗い冬の朝に「なんとなくやる気が出ない」という気持ちになるのはやむを得な…

変化と共に居る

今日は年に一度の健康診断を受けてきた。私はたいして健康に気を使っていない割に、自分でもやんなっちゃうくらい病気をしない。生まれつき脳の真ん中に嚢胞があるのを除けばこれといって大病を患ったことがないし、健康診断でも再検査の指示が出たことはな…

ヴィパッサナーと慈悲の心

このところ「他者の心の流れを観る」ということにチャレンジしている。 「観る」といっても他者の心が実際に読めたりするわけではないため、正確には「想像する」というのが近い。「視覚が何かを捉え、捉えたことを認識し、認識したものを判断し、そこから何…

因果を観る

私は根っからの仕事人間で、暇でブラブラしているよりは仕事をしていた方が気分がいい。 しかし、それでもしばしばなんとなく仕事をしたくないな、と感じることがある。 考えてみれば昼間フルタイムで働いた上に夜も週末も物書きをしているわけで、疲れが溜…

凪いだ心

つい最近、私の身辺にとんでもない出来事が勃発した。このような場で嬉々として語るような話ではないため詳細は伏せるが、これがドラマなら私の立場にあるキャストは泣きわめき、自分の境遇を呪い、世をはかなんで出家でも考えかねないようなゴツいやつだ。5…

呼吸の中の輪廻

ヴィパッサナーの座る瞑想では、第一に呼吸を観察する。観察の仕方にはいくつか流儀があるようだが、私がやっている方法では、呼吸によって膨らんだりへこんだりする腹部が最初の観察対象になる。 腹部は息を吸うと膨らみ、息を吐くとへこむ。その動きを、「…

感覚の分解

私は昔から体が硬く、正式な結跏趺坐というのを組むことができない。仕方がないので胡座(あぐら)をアレンジしたような座り方で座る瞑想をやっているのだけれど、どこかで血行や神経が圧迫されるのか、一時間くらい座っていると、いわゆる「痺れ」が生じて…

異常感覚とヴィパッサナー

これはわかる人にしか分からないのではないかと思うのだが、私には幼い頃から、「体の感覚が左右均等に起こらないと落ち着かない」という奇妙な性癖があった。右手で触ったものには左手でも触れたくなるし、右足で踏んだものは左足でも踏まないと気が済まな…

マナーと怒り

周囲の人に不快な思いをさせないように心がけるのは大切な事だ。だから、それを広く啓蒙することにも何かしら意義はあるのだろうけれど、私自身は、そばで誰が何をしていようとそれに動じない心が欲しい。 何を好み、何を不快に感じるかは人によってまちまち…

フィルタ越しの真実

ヴィパッサナーで座る瞑想をする時に、呼吸によって膨らんだり凹んだりするお腹の動きを観察する。座り始めは、「自分の一部に腹がある」という感覚があるのだが、時折、腹の膨らみ、凹みが風船のように膨らんでいき、腹の中…というか、腹の膨らみ凹みの中に…

タイムラインの自我

ブッダは「自我は幻である」とを説かれたそうだが、最近は脳を研究する学者の間でも、同じようなことが言われ始めているらしい。fRMIのようなツールが登場したことで、脳のどの部分がどんな心の働きに関係しているのかを視覚的に把握できるようになり、たと…

心のからくり

瞑想に真面目に取り組むようになってから距離を置いていた音楽に、最近、また少しずつ親しみ始めている。距離を置こうと思ったのは、音楽に引きずられる感覚を疎ましく感じたからで、また聴いてもいいかなと思ったのは、引きずられそうになる心を引き戻して…

外側と内側

心の流れを慎重に観察しつづけていると、外側から受ける刺激と、それによって内側に生まれる感情とが別のものだということが徐々に分かるようになってくる。 それはたとえば、電車の中で電話している人を見て不愉快な気持ちになった…という時に、「電話をか…