瞑想オカン

ヴィパッサナー瞑想修行に勤しむ四十路オカンの日記

雑感

「良し悪し」という概念

私が初めてヴィパッサナーを知ったのは2011年頃の事なので、なんだかんだで6年近くヴィパッサナーに関わってきたことになる。 といっても、初めの数年はそれほど真剣に取り組んでいたわけではない。 当初の「瞑想」は「ラベリングをしていればとりあえず頭の…

闘いからの卒業

生きている中でなにが辛いかといって、自分で自分を守ろうと必死になることほど辛くて苦しいことはない。 たとえば仕事でなにか失敗をして上司にこっ酷く叱られたようなとき、辛いのは失敗した瞬間でも叱られている間でもなく、「失敗して叱られている惨めな…

無常、無我、苦

デジタルの時代に生きる私たちは、「無常」「無我」の真理に気づく糸口を得るということに関して、とても恵まれた環境にあると思う。 あらゆるものが刹那ごとに生滅を繰り返しているということは、コンピュータの中で展開される世界が実は0と1(電流のオンオ…

「かわいそうな私」

何か辛いこと、悲しいこと、悔しいことなどがあって思わず涙がこみ上げる…という経験は、多かれ少なかれ誰にでもあるのではないかと思う。 私の場合、そういう瞬間の心を観察すると、根底に「自己憐憫」が隠れているのがかすかに見える。 涙ぐむきっかけとな…

2016年8月14日 意識の粒

座る瞑想。 目を閉じてお腹の膨らみ凹みに集中し、心が静かになってくると、高速で明滅する意識の断片のようなものが見えはじめる。 意識というものは一本のシームレスな線のようなものだと、以前は思い込んでいた。 けれど、今感じていることが間違いでなけ…