瞑想オカン

ヴィパッサナー瞑想修行に勤しむ四十路オカンの日記

2016年3月9日 感情と感覚

座る瞑想。

座る瞑想をしていると、心と身体が密接に結びついていることがよくわかる。

ある種の感情が生まれると、それに対応する形で身体のどこかが反応する。
例えば怒りが生まれると、眉間のあたりになにかエネルギーのようなものが集まる感じがする。不安や寂しさの場合は喉仏のあたり、苛立ちやじれったさはお尻のちょっと上、尾てい骨の上端にムズムズするような感覚をもたらす。そこから膝の裏あたりにかけて、ムズムズが走っていく。

イライラした時に足踏みをしたり貧乏ゆすりをしたりしたくなるのは、もしかするとそのせいかな?


誰か大切な人のことを考える時はみぞおちと肋骨の下端の間あたり、嬉しい事・ワクワクするようなことを思い浮かべる時は、下腹のあたりに何かがわだかまるような感覚が生まれる。

改めて考えてみると、それぞれの場所はいわゆる「チャクラ」のポイントに微妙にかぶっているのかもしれない。昔から伝えられてきたことには、やはり何かしら意味があるのだろう。


反対に、身体の状態が心のあり方に影響を与えるケースもあって、たとえば口角を上げて微笑みの形を作ると、嬉しくなくてもなんとなく嬉しいような気持ちになる。

もう一つ最近気付いたのが、背筋の伸び方と心の関係性。背筋をスッと伸ばしている時といわゆる猫背になっている時では、心の明るさが全く違う。

厳密には「背筋を伸ばす」というより、骨盤と背骨の境い目あたりがいい感じで「立っている」という状態。
あまりにも変化があからさまなので、瞑想しながら何度も腰を伸ばしたり曲げたりして心の動きを観察してみたが、身体が前述のような状態になると、見違えるほどに意識が明瞭になる。

それはあたかも、ズレた配線を繋ぎ直した途端に豆電球があかあかと灯る感じ。

人の身体は、神経というハーネスで配線された電気回路のようなものなのかもしれないな。