2016年04月23日 不殺生戒
不殺生戒を守ることは、ヴィパッサナー瞑想修行を進めて行く上で非常に重要なことだと思う。
それが「人を殺さない」というだけのことであれば、さほど苦も無く守ることができる。けれど、生きとし生けるすべての命を殺さずに生きていくのは、口でいうほど簡単なことではない。
私には子供のころから苦手な生き物が四つあった。
一つは蜘蛛、一つは毛虫、それにゴキブリとムカデ。
ここ数年の努力の甲斐あってか、蜘蛛と毛虫は、ジーンズを履いた足の上を這っていてもさほど不快を感じない程度に克服することができた。しかし、ゴキブリとムカデにはまだ慈悲の心で接することが難しい。
別に彼らに対して憎しみがあるわけではないし、積極的に殺したいわけではないのだが、同じ部屋の中に彼らがいるとやはり落ち着かないので、外へ出ていってもらいたいと思う。けれど、彼らのどちらも、紙などにのせてご移動願うには動きが速すぎるのである。
今日、久しぶりに自室にムカデが出た。
体長5cmにも満たない子供のムカデだった。
パソコンに向かって仕事をしていたら、壁に這わせたLANケーブルの横をよちよちと上っているのが目に入った。
あ、ムカデだ…よし、なんとか殺さずに外へ逃がそう、と思い、進行方向にコピー用紙をそっと置いてみたのだが、警戒しているのかどうしても乗ろうとしない。
それどころか、敵が表れたと察知してパニックに陥り、おろおろしながらLANケーブルの裏に回り込んでじっと身動きしなくなった。
本人は隠れたつもりなのだろうが、ケーブルからはみ出した触覚と足が丸見えである。隠れん坊で、クローゼットの扉から服の裾をはみ出させて息をひそめている幼い子供を思い出した。
この様子では紙には載ってくれそうもないが、さりとて箸でつまめる自信もない。
でも、放置しておいたらどこかへ這って行って、夜中に布団に潜り込んでくるかもしれない。一昨年、パジャマの袖の中にムカデに入り込まれた時のトラウマが、「それはだけはなんとしても避けたい」という信号を送ってくる。
身動きしないムカデの子を前にして散々悩んだのだが、結局、「ごめんね…」とつぶやきながら殺虫剤のスプレーをかけた。
私は割とムカデに縁があり、45年の人生で過去に4回ムカデに体をのぼられている。
しかし、その割にムカデに刺された経験は一度もない。実質的には何の被害もこうむっていないというのに、なぜ私はこんなにこの生き物を嫌うのだろう。
今年こそムカデに慣れようと思い、このところ慈悲の瞑想をする際にずっとムカデを思い浮かべていたのだけれど、まだまだ修行が足りなかった。
私に何か害を与えたわけでもなく、あんなに必死で身を隠そうとしていたムカデの子供を自分のわがままから殺してしまったことについて、今、私は深い罪の意識を感じている。