瞑想オカン

ヴィパッサナー瞑想修行に勤しむ四十路オカンの日記

2016/05/09 慈悲の回路

慈悲の瞑想。

毎朝、目が覚めると布団の中で慈悲の瞑想をする。
かつては目覚めと共にスマホを手に取りSNSをチェックするのが日課だったが、それを慈悲の瞑想に置き換えた形である。

瞑想で自分の心の動きを観察するようになると、心に何を入れるかに慎重になっていく。
というのも、静かに自分を観察していると、心(あるいは脳)というのは、自分が意識しているよりずっと多くのものを記憶しているということに気付かざるをえないからだ。
我々を縛る感情は、そのように記憶されたものによって反射的かつ問答無用に作り出されている。

私たちは「自分の意思で感情を作っている」と誤解しがちだけれど、感情というのはその時点で脳の中に作られている回路によって、半自動的に生成されるものだ。
脳の中で様々な要素が怒りに結びついていれば何を見聞きしても腹が立ち、あらゆるものが恐れに結びつく回路が出来ていれば、その脳の持ち主にとって、この世はとても怖いところになる。

かつてサイコホラー小説ばかりを好んで読んでいた頃、私の周囲は恐怖に満ちていた。
何年か前に心を浄化しようと決め、ホラー、サスペンス、人の死ぬ推理小説などを手に取ることをやめて以来、徐々にそうした恐れは遠いものになりつつある。


少し話が逸れてしまったが、そういう意味で慈悲の瞑想は、心の浄化にとても役に立っている。
目覚めた直後や移動中にふとできた隙間時間に、慈悲の瞑想のフレーズを頭の中で唱える。あるいは、突発的に怒りや恐怖などの強い感情が浮かんだら、感情の流れを一旦止めて慈悲の瞑想をする。
そうすることによって、脳の回路が慈悲の心で上書きされていく。色々な要素に慈悲が紐付けられれば、つまらないことで怒ったり恐れたりする感情の波に悩まされることも減っていく。

慈悲の瞑想を知ったばかりの頃、こんなフレーズを唱えるだけで何が変わるものかと思ったものだが、騙されたと思いつつ続けてきてよかったと、今はしみじみ実感している。

逆説的な言い方になるが、脳、あるいは心の処理エンジンは、天然の人工知能…非常によくできた推論システムのようなものなのではないかと思う。
穏やかな回路を作っておけば穏やかな結果が導き出され、激しい回路はそれに応じた激しい世界を作り出す。

因果応報、引き寄せの法則、「人生は自分の思った通りになる」
…色んな言葉で表現されているけれど、全ては心のそういう性質を言い表しているのかもしれない。