瞑想オカン

ヴィパッサナー瞑想修行に勤しむ四十路オカンの日記

2016年8月14日 意識の粒

座る瞑想。

 
目を閉じてお腹の膨らみ凹みに集中し、心が静かになってくると、高速で明滅する意識の断片のようなものが見えはじめる。
 
意識というものは一本のシームレスな線のようなものだと、以前は思い込んでいた。
けれど、今感じていることが間違いでなければ、意識は無数の点を繋げて作られる流れなのかもしれない。
 
現れては消える意識の断片を見るのは、ちょうど土砂降りの日の池の表面に立つ水しぶきを眺めるのに似ている。
めまぐるしく現れたり消えたりする意識の粒を全て捉えるのは、今の私には難しいのだけれど、それらの無数の粒の中から今この瞬間に優位になっている意識に一番近いもの、あるいは一番大きくて目立つものが、次の瞬間の意識になっているようだということはぼんやりと分かる。
そうやって拾い上げた無数の粒が数珠のように繋がって、意識の流れができているようだ。
 
瞑想中にお腹の膨らみ凹みに意識をとどめ続けるということは、刹那ごとに「お腹の膨らみ凹みを見る」という同じ種類の粒を選び続けるということ。
そして、意識が妄想へと逸れるということは、ある刹那にうっかり違う粒を選んでしまったということ。スタート地点でのわずかな角度のズレが進むにつれて大きな誤差を産むように、そこを起点として、心は大きく道を逸れた別の「流れ」を作り始めてしまう。
 
一瞬、一瞬気を抜くことなく、同じ種類のを選び続けるということ…一つのことに集中するというのは、要するにそういうことなのかもしれない。