瞑想オカン

ヴィパッサナー瞑想修行に勤しむ四十路オカンの日記

座禅会と瞑想

近くのお寺で早朝坐禅会をやっていると聞いて、後学のために参加してきた。


わざわざ外へ行かずとも、家で一人で座っていればいいようなものなのだけれど、たまにはそういう場へ出てみるのも勉強になるのではないかと思った。
 
 
坐禅は、経行(きんひん)と呼ばれる軽い散歩を挟んで30分ずつ二回行われた。
薄暗い禅堂の単という畳の上に座布を敷き、20人弱の参加者が向かいあわせに座る。
木版を叩く音で坐禅が始まり、雲水さんの合図で終わる。
 
 
禅堂への出入りの作法などは周りの人を真似したが、座って目を閉じればいつもの瞑想と変わらない。
坐禅だから禅宗に習って心の見方を変える、などという器用なことは私にはできないし、そうする必要性も感じなかった。
 
 
一つ面白かったのは、人の気配の感覚だ。
警策を持った雲水さんが目の前を通り過ぎると、まずは足音でそのことがわかるのだが、足音だけではなく、眉間のあたりに圧力がかかったような感覚としても、人が間近にいることが感じられる。
 
それが空気の流れなのか、その人が発する気のようなものなのか、そのへんはよく分からないけれど、こういうのは家で一人で座っていては分からないことで、なかなか面白い経験だった。
 
 
坐禅の後は縁起についての法話を聴いてからお粥を頂き、諸連絡の後で解散。
 
色々と勉強になったが、瞑想をするだけならやはり家で一人でやればいいのではないか、という気もしているので、次の参加はないかもしれない。
 
 
一人心をおさめるための禅の修行や瞑想をするにあたっても、私たちはこうして同胞と集う。
そういう人の業のようなものが、不思議でもあり、どこか愛おしくもある。