Twitter瞑想
長いことBlogの更新報告しか流していなかったTwitterを、最近またちょっと積極的に眺めるようになった。
私は物を書く人間で、もともとSNSなどに何か投稿するのは割と好きな方である。放っておけば思いついたことを何でもかんでもツイートしたくなるのだが、そこを一旦踏みとどまって、ツイートしようとしている自分の心を観察する。
そして、「いまから呟こうとしていることは、果たして正語の定義から外れていないだろうか」ということを、ちょっと考えてみるのである。
食事をしながらする瞑想が食べる瞑想だとすれば、さしづめこれはTwitter瞑想とでも呼べばよいだろうか。
ただしこれには一つ問題があって、その瞬間の自分の心を冷静に観ると、その大半が慢心から出る無意味なおしゃべりに思えてしまうのだ。
私の心は、よほど分厚い無明の雲で覆われているらしい。
それで結局、10回のうち8回くらいはツイートしようとする気持ちが失せて、投稿フォームを閉じることになる。
ツイートするという行為や、ツイートされる言葉そのものには、善も不善もないだろう。肝心なのは、ツイートを流そうとするその瞬間の自分の心のあり方なのだ。
人に役立つ善い言葉をきれいな心で語れるようになるまでには、まだまだ時間がかかりそうだが、独り坐して心を観るのとはまた違った修行の場を、Twitterは与えてくれる。