瞑想オカン

ヴィパッサナー瞑想修行に勤しむ四十路オカンの日記

3.99Kmの瞑想

ちょっと思うところがあって、ここ3週間ほど帰宅後に一時間ほど歩いている。
息子たちがいれば一緒に歩き、誰もいなければ一人もくもくと歩く。

息子ととりとめもないおしゃべりをしながら歩くのも楽しいが、一人ならひとりで、ゆっくり歩く瞑想に取り組むチャンスになる。速足で一時間歩くのは四十路の体にはそれなりにキツいが、その時々にあわせてその時々なりの楽しみがある。

 

今日は次男が留守だったので、中学2年生の三男と二人で歩いた。
背中に唯我独尊の次男とは違い、三男は見た目も中身もお地蔵さんのようなおっとりした人で、私が語る脳や遺伝子や進化の話などにも割と関心を示してくれる。

 

並んで歩きながら、ふと思いついて、
「ねぇ、歩く瞑想のやり方を教えてあげようか」
と水を向けてみた。私は人に物を教えることにうしろめたさを感じるタイプだが、相手がわが子ならまぁいいのではないかな、と思う。

「歩く瞑想?」
「うん。瞑想にも色々あって、じっと座ってやるだけじゃなく、歩きながらやるタイプがある」
「面白そう、教えてー」
と、丸い目に好奇心を浮かべた三男に、歩く瞑想の基本的なやり方を説明する。
左足を上げる、運ぶ、下す、右足を上げる、運ぶ、下す…というのを観察しながら歩き、意識が足から離れたら、「離れた」と気づいてもう一度足に戻る。

「…それをひたすら続けながら歩くだけ。簡単でしょう?」
「うん、やってみるわ」

と口をつぐんで歩き出した彼に並んで、しばし二人でもくもくと歩く。

 

「…やってる?」
「うん、やってる。でも、これってなんの役に立つの?」
「そうだねぇ…」

と一瞬言葉を切って、瞑想の効果を彼にどう伝えるべきかを考える。
まだ若いこの人にイキナリ無常だ、無我だといういう話をしてもおそらくあまりアピールしないだろうし、上手く伝えられる自信もない。

「色々あるけど、さしあたってはセルフコントロールがうまくなると思う。
あなたは優しくて正直ないい子だけど、心が敏感で人の言動に傷つきやすいでしょう。地道に瞑想を続けると、人から何か言われて怒ったり、落ち込んだり、泣いたりするということが、徐々に減っていくんじゃないかな」
「へぇー、そうなの?なんで?」
「正確な理論はわかんないけど、手足の動きを観察すると、脳の帯状回というところに作用するみたい。帯状回は自己抑制に関係が深いと言われているから、足の動きを観察することで、そこが鍛えられるのかもね」
「おおー、なるほど!」

三男が関心を示してくれるのに気をよくして、瞑想の話を続ける。
「それから、何も考えずに足の動きだけを観察しようと思っても、ふと気が付くと頭は勝手に別の事を考えているでしょう?」

「うん、学校の事とか考えちゃった」
「そうなったら、『おっと、いかんいかん』という感じでまた足に意識を戻す。また気がそれる、また戻す…これを何度も繰り返すのが、自分の意識を自分で制御するトレーニングにもなるんだと思う。
自分の足の動きを観察することで自分を客観的に見る訓練をして、意識を足にひき戻し続けることで、自分の意識をコントロールする訓練をする。この二本立てでやっていくと、怒ったり悩んだりしている自分に気づき、気づいたらそこから気持ちを離す、ということができるようになってくるよ」
「なるほどー。確かに、お母さん、昔みたいにキーキー怒らなくなったもんね(笑)」
「えー、そんなにキーキー言ってたかな(笑)」

 

ひとしきりお喋りしたあと、どちらからともなく口をつぐみ、また並んでもくもくと歩き始めた。

隣から、三男がさくさくと地面を踏む音が、遠く近く聞こえてくる。

左足上げる、運ぶ、下す、音、音、
右足上げる、運ぶ、下す、音、音、音…

わが子と並んで歩く瞑想をする時間を愛しいものだと感じるこの気持ちも、究極的には苦を生むものなのだろう。意識の表面にふと浮かびあがったそんな思いを他人事のように眺めながら、私もさくさくと地面を鳴らしながら歩き続けた。