瞑想オカン

ヴィパッサナー瞑想修行に勤しむ四十路オカンの日記

心のからくり

瞑想に真面目に取り組むようになってから距離を置いていた音楽に、最近、また少しずつ親しみ始めている。

距離を置こうと思ったのは、音楽に引きずられる感覚を疎ましく感じたからで、また聴いてもいいかなと思ったのは、引きずられそうになる心を引き戻して留めおくことができるようになってきたからだ。

聴いている音楽は以前と同じだが、音楽の楽しみ方は随分変わったと思う。
以前は音の流れに浸り、音と同化して恍惚となるのが音楽を聴く目的だった。今は音楽そのものより、音の流れによって変わる自分の様子を見るのが面白い。

好きな歌の前奏が始まる時の何かを期待するような気持ち、サビの部分が近づくにつれて急速に湧き上がる高揚感、曲が終わりに近づくにつれて現れてくるかすかな寂寥感…そういうものがどこから現れてどういうルートで体を巡り、どのような感情にたどり着くのか、眺めていると、それまで知らなかった自分の仕組みが見えてくる。

なぜ、いつも同じコード進行の曲に心を惹かれてしまうのか、好きなフレーズを聴いている時とそうでない時に、自分の心がどう振る舞うのか、そういうからくりが少しずつ暴かれていく。


執着を捨てるための早道は、対象に執着する心のからくりを見抜くことなのではないだろうか。なぜそれに執着してしまうかを種明かしされると、執着心はスッと冷めてゆく。

執着を手放すということは対象に特別な価値を置かないということで、それは対象を嫌悪することとは違う。
異性を糞袋と見て嫌悪するのではなく、異性に心惹かれる自分の心のからくりを見抜き、最終的には両者に等しい価値を置く…この先も様々なものに囲まれてなお心穏やかに生きていくために、そういう姿勢で世界と対峙していけたらよいなと思う。