瞑想オカン

ヴィパッサナー瞑想修行に勤しむ四十路オカンの日記

マナーと怒り

周囲の人に不快な思いをさせないように心がけるのは大切な事だ。

だから、それを広く啓蒙することにも何かしら意義はあるのだろうけれど、私自身は、そばで誰が何をしていようとそれに動じない心が欲しい。

 

何を好み、何を不快に感じるかは人によってまちまちで、周囲の人全てを不快にさせないよう振る舞うのは難しい。
それ故に私たちは「マナー」という共通の指針を作り、最大公約数的な平和を目指すのだけれど、マナーという大義名分のもとに人を批判し始めると、そこに新たな苦しみがあらわれる。

 

人を批判する気持ちは、姿を変えた怒りなのではないかと思う。どちらも眉間に何か重いものをわだかまらせ、孫悟空の輪のように頭を締め付ける感覚を連れてくる。

それは明らかな「苦」のはずなのに、批判の心は「私は正しい」という旗印を掲げて現れるので、激しい怒りに比べると気付くのも抑えるのも難しい。

「私は正しい」というある種の高揚感の陰に隠れて、その毒はゆっくりと身体にまわる。


本当は「怒ってはいけない」のではなく「怒るのは馬鹿らしい」のであり、「人を批判すべきではない」のではなく、「批判しないほうがラク」なのだ。


マナーは自分を律するためにこそ活用し、人を裁くための基準にしない。そうやって、凪いだ心を保ちながら生きていけるようになりたいなと思う。