瞑想オカン

ヴィパッサナー瞑想修行に勤しむ四十路オカンの日記

転換点

ヴィパッサナー実践の進み方は、人それぞれなのだろうと思う。

いつ、どんな変化がどのように起こり、どういう経緯を経て心が救われるのか…ある程度の目安はあるのかもしれないが、「必ずこうなる」という定石のようなものはおそらくないのだろう。
他人の心を直接見て比較することができない以上、この想像が正しいかどうかを知る術はない。
 
 
ただ、実践を続ける中で、物の見方がそれまでとは大きく変わってしまうある種の転換点を通過することになるのは、おそらく全ての人に共通することなのではないかと思う。
それが具体的にどのような現象として現れるかは分からないが、その体験を境に世界の見え方がおおきく変わってしまう、そういうことが遅かれ早かれ誰にでも起こる。
そうでなければこのメソッドは、二千年もの時を超えて語り継がれていないだろう。
 
 それは、それまで平面にしか見えなかった3Dアートが、ある瞬間を境に突然立体に見え始めるのにちょっと似ているのかもしれない。天の声が聞こえるとか、めくるめく恍惚感に包まれるとかいった特殊な体験ではなく、ただ、
「ああ、なるほどそういうことか」
という奇妙なまでに深い納得感が湧き上がる。それをきっかけとして、抱いていた価値観がガラッと入れ替わってしまう。
 
価値観が入れ替わったからといって、自分の中の煩悩が瞬時に消え去るわけではなく、怒りや悲しみなどの感情はその後も生まれ続けるのだけれど、生まれた感情に縛られることが減ってくるので、生きるのはずいぶん楽になる。
 
その転換点は、ヴィパッサナーの究極のゴールとされる「悟り」や「解脱」とはまた異なるものなのだろう。けれど、どうにかして激しい怒りを鎮火して苦しみから逃れたいと切望していた私にとって、それがこの上ない救いとなったのは確かなことだ。
 
 私は仏教徒というわけではなく、仏教のいう「悟り」や「解脱」を真剣に目指しているわけではない。
それでも、いま感じている安寧な境地を保ち、この先もずっと心穏やかに生きていくために、これからも自分なりにヴィパッサナー修行を続けていきたいと思っている。