瞑想オカン

ヴィパッサナー瞑想修行に勤しむ四十路オカンの日記

「怠け」の正体

怠けとは欲である、という話を聞いたことがある。
人は気力が出ない、動くエネルギーがないから怠けるのではなく、「何もしないという状態にとどまっていたい」という欲に動かされ、強大なエネルギーを傾けて怠けている、というようなことだ。

「怠けは欲だ」とおっしゃっていたのはのはスマナサーラさんという初期仏教の僧侶の方なのだが、それを読んで、なるほど、それは確かにそうかもしれないと膝を打った。

Amazonのレビューを見ると、スマナサーラさんの本の読者は強烈なシンパと強烈なアンチに別れるようだが、個人的にはこの方の書かれるものは結構好きである。
仏教にかけられていた神秘のベールを剥ぎ、私のような一般の読者にもわかる形で提示したのは、この方の大きな功績なのではないかと思う。
ライターとしての私のテーマは「難しいことを分かりやすく」であり、そういう点でもこの方の御著書には学ぶところが少なくない。


それはさておき、怠けが欲だと看破してしまうと、怠けと闘うのが格段に楽になる。
「欲と怒りはなんとかできるが怠けは手強い」と語る人は少なくないし、私もそう思っていたが、それはもしかすると怠けの正体を知らなかったからなのかもしれない。
「化物の正体見たり枯れ尾花」という俳句があるが、おそらくそういうことなのだろう。

私たちは無意識のうちに「生き物のデフォルトの状態は止まっていることだ」と考えるけれど、無常が真理であるならば、むしろ動いている状態こそが「ありのまま」なのだろう。動いているのがデフォルトなのに、恐るべき執着心でもって「ここにとどまろう」とするのだから、怠ければ怠けるほど辛くなるのは道理である。

こういう視点の切り替えによって、世界の見え方がガラッと変わることがある。
「怠けは欲である」というのが真実かどうかは分からないが、少なくとも私にとって、この気づきは大きな福音になったと思っている。