瞑想オカン

ヴィパッサナー瞑想修行に勤しむ四十路オカンの日記

青い鳥

ヴィパッサナー瞑想は「気づきの瞑想」と呼ばれますが、瞑想する目的は気づくことそれ自体、あるいは気づきによって何かを「悟る」ことではなく、「今この瞬間に心を置き続けられるようになる」ことなのではないか――最近はそんな風に思うようになりました。
 
今この瞬間に心を置き続けられれば、悩みや苦しみの大半はなくなります。なぜなら、悩みや苦しみは、本質的には過去と未来にしか存在し得ないものだから…。
けれど、言葉にすれば簡単な「今この瞬間に心を置く」ということが、実はとても難しい。感情への執着を自由に手放せるようになってはじめて、「"今ここ"こそが涅槃である」という言葉が現実的な響きを帯びてくる。
 
それは、チルチルとミチルが大冒険の果てに「幸せの青い鳥は実は自分の家にいた」と気づいたことに、どこか似ているような気がします。
 
修行を通じて何かをつかもうとするな、どこかにたどり着こうとするな…とはよく言われる事ですが、強いていうなら、瞑想を通じて最終的にたどり着く境地は「どこにもたどり着く必要はなかった」と気づくことなのかもしれません。