瞑想オカン

ヴィパッサナー瞑想修行に勤しむ四十路オカンの日記

2016年8月8日 立つ瞑想

明日、会社へ持っていくお茶を淹れるためにヤカンに水を入れて火にかけ、お湯が沸くまでの数分に立つ瞑想をする。

立つ瞑想をしていていつも思うのは、なぜ体は目を閉じてじっとしていると前に倒れていこうとするのだろうかということだ。
立つ瞑想だけではなく、座る瞑想でも、ふと気づくと上体が思い切り前のめりに倒れていることがある。

体を支えているのが骨と筋肉だとしたら、一瞬前に起きていた体が何もしないのに前傾していくというのは何かおかしな話である。
それで、体が前のめりになる瞬間を観察し、そうでない時と比較をすれば、その謎が解けるのではないかとふと思った。

立ちながら足と骨盤のあたりに意識を置いて、立っている、立っている、と考えている時は、体はきちんと立っている。
しかし、しばらくすると意識が遊び始め、沸騰しつつあるヤカンが立てる湯気の音とか、生ぬるい辺りの空気とかにチラチラと浮気をし始める。
体がユラユラと揺れ始めるのは、どうもそういうタイミングのようだ。

そういえば座る瞑想で体が前のめりになっている事に気づくのは、たいていの場合、半分寝ていて意識が抜け落ちている時のような気もする。

だとすると、体をこうやってまっすぐに立てておくためには、筋肉と骨だけではなく、体を立てておこう、立てておかねばと思う意識の力も必要なのだろうか。

物の本によれば体の動作に関する仕事のほとんどは小脳が担当しているそうだが、大脳皮質の活動が静まる睡眠中に立っていることができない(できる人もいるかもしれないが…)事を考えると、小脳に対して「この体を立たせておきたい」という信号が大脳から出されてはじめて、私たちは体を立たせておくことができるのかもしれない。