瞑想オカン

ヴィパッサナー瞑想修行に勤しむ四十路オカンの日記

2016-01-01から1年間の記事一覧

妄想を止める

何年も前に読んだ「一秒」禅という本に、「思うて詮無きことは思わず」という言葉が紹介されていた。「考えても仕方のないことは考えない方が良い」という意味で、「なるほど、確かにそうだな」と感銘を受けたが、その一方で「そうは言っても、その『考えな…

自己主張という屁

自分の意見を主張するのは、放屁によく似ていると思う。「我がものと 思えば愛し 屁の臭い」という川柳もあるように、自分の主張は自分にとって好ましいものだし、言いたいことを言えば思い切り屁を放った直後と同じようにとてもスッキリする。しかし、主張…

連想ゲーム

バスなどを待つ間に手持ち無沙汰な時間ができると、連想ゲームをすることがある。連想ゲームといっても「りんごは赤い、赤いはポスト」…というあの遊びとは少し違って、ふと意識に上ったものから連なるように出てくる記憶や感情の流れを観察するようなことだ…

転換点

ヴィパッサナー実践の進み方は、人それぞれなのだろうと思う。 いつ、どんな変化がどのように起こり、どういう経緯を経て心が救われるのか…ある程度の目安はあるのかもしれないが、「必ずこうなる」という定石のようなものはおそらくないのだろう。 他人の心…

瞑想と奇跡

いつだったか息子を呼んで折り紙を取り出し、「お母さんがポンと手を叩いたら、この紙が半分になるよ〜」と言いながら手を叩き、叩いた後で紙を手で折ってみせたことがある。ワクワクした顔で見守っていた息子は、「えー、自分で折るなんて詐欺やん!」と鼻…

冬の朝の憂鬱

冬の朝は寒いので、布団から出るのが億劫になる。加えて日の出が遅いため、目覚めの頃には太陽が顔を出していない。人間の身体は日光を浴びてセロトニンを合成するそうなので、薄暗い冬の朝に「なんとなくやる気が出ない」という気持ちになるのはやむを得な…

変化と共に居る

今日は年に一度の健康診断を受けてきた。私はたいして健康に気を使っていない割に、自分でもやんなっちゃうくらい病気をしない。生まれつき脳の真ん中に嚢胞があるのを除けばこれといって大病を患ったことがないし、健康診断でも再検査の指示が出たことはな…

ヴィパッサナーと慈悲の心

このところ「他者の心の流れを観る」ということにチャレンジしている。 「観る」といっても他者の心が実際に読めたりするわけではないため、正確には「想像する」というのが近い。「視覚が何かを捉え、捉えたことを認識し、認識したものを判断し、そこから何…

因果を観る

私は根っからの仕事人間で、暇でブラブラしているよりは仕事をしていた方が気分がいい。 しかし、それでもしばしばなんとなく仕事をしたくないな、と感じることがある。 考えてみれば昼間フルタイムで働いた上に夜も週末も物書きをしているわけで、疲れが溜…

凪いだ心

つい最近、私の身辺にとんでもない出来事が勃発した。このような場で嬉々として語るような話ではないため詳細は伏せるが、これがドラマなら私の立場にあるキャストは泣きわめき、自分の境遇を呪い、世をはかなんで出家でも考えかねないようなゴツいやつだ。5…

呼吸の中の輪廻

ヴィパッサナーの座る瞑想では、第一に呼吸を観察する。観察の仕方にはいくつか流儀があるようだが、私がやっている方法では、呼吸によって膨らんだりへこんだりする腹部が最初の観察対象になる。 腹部は息を吸うと膨らみ、息を吐くとへこむ。その動きを、「…

感覚の分解

私は昔から体が硬く、正式な結跏趺坐というのを組むことができない。仕方がないので胡座(あぐら)をアレンジしたような座り方で座る瞑想をやっているのだけれど、どこかで血行や神経が圧迫されるのか、一時間くらい座っていると、いわゆる「痺れ」が生じて…

異常感覚とヴィパッサナー

これはわかる人にしか分からないのではないかと思うのだが、私には幼い頃から、「体の感覚が左右均等に起こらないと落ち着かない」という奇妙な性癖があった。右手で触ったものには左手でも触れたくなるし、右足で踏んだものは左足でも踏まないと気が済まな…

マナーと怒り

周囲の人に不快な思いをさせないように心がけるのは大切な事だ。だから、それを広く啓蒙することにも何かしら意義はあるのだろうけれど、私自身は、そばで誰が何をしていようとそれに動じない心が欲しい。 何を好み、何を不快に感じるかは人によってまちまち…

フィルタ越しの真実

ヴィパッサナーで座る瞑想をする時に、呼吸によって膨らんだり凹んだりするお腹の動きを観察する。座り始めは、「自分の一部に腹がある」という感覚があるのだが、時折、腹の膨らみ、凹みが風船のように膨らんでいき、腹の中…というか、腹の膨らみ凹みの中に…

タイムラインの自我

ブッダは「自我は幻である」とを説かれたそうだが、最近は脳を研究する学者の間でも、同じようなことが言われ始めているらしい。fRMIのようなツールが登場したことで、脳のどの部分がどんな心の働きに関係しているのかを視覚的に把握できるようになり、たと…

心のからくり

瞑想に真面目に取り組むようになってから距離を置いていた音楽に、最近、また少しずつ親しみ始めている。距離を置こうと思ったのは、音楽に引きずられる感覚を疎ましく感じたからで、また聴いてもいいかなと思ったのは、引きずられそうになる心を引き戻して…

外側と内側

心の流れを慎重に観察しつづけていると、外側から受ける刺激と、それによって内側に生まれる感情とが別のものだということが徐々に分かるようになってくる。 それはたとえば、電車の中で電話している人を見て不愉快な気持ちになった…という時に、「電話をか…

3.99Kmの瞑想

ちょっと思うところがあって、ここ3週間ほど帰宅後に一時間ほど歩いている。息子たちがいれば一緒に歩き、誰もいなければ一人もくもくと歩く。 息子ととりとめもないおしゃべりをしながら歩くのも楽しいが、一人ならひとりで、ゆっくり歩く瞑想に取り組むチ…

ゆでたまご

朝食にはゆで卵を食べることが多い。卵はどちらかといえば固ゆでが好みで、水から入れて強火で15分ほどゆで上げる。その日も卵と水を鍋に入れて強火にかけ、タイマーを15分にセットしてスタートボタンを押そうとしたところで、「そういえば、なぜ私は強火で1…

「抜苦与楽」

一年ほど前のことになるが、タイで修行をしておられるプラユキさんという僧侶の方にお目にかかったことがある。 私はヴィパッサナーを書籍で学び、初心者瞑想指導の会というのに一度だけ出席した後は、基本的に一人で瞑想修行を続けてきた。瞑想会や合宿のよ…

「良し悪し」という概念

私が初めてヴィパッサナーを知ったのは2011年頃の事なので、なんだかんだで6年近くヴィパッサナーに関わってきたことになる。 といっても、初めの数年はそれほど真剣に取り組んでいたわけではない。 当初の「瞑想」は「ラベリングをしていればとりあえず頭の…

Interconnected

今日は朝から「デジタルで相互接続された世界における新たなビジネスリスクについて」というテーマの記事を書いていたのだが、先ほど情報の収集と整理が一段落し、記事の構成にもおおむねメドが立ったので、どれ、いっちょ気分転換に瞑想をするか…と座る瞑想…

慈悲と変容

先日、駅の待合室で座っていたら、泥酔した男性が入室してきて、見えない誰かを大声で罵倒し始めた。街へ出ればよくあることで、そういう時は目を合わせないようにして無難にやり過ごすのが、いつもの私のやり方である。 その時も手にしたKindleに目を落とし…

闘いからの卒業

生きている中でなにが辛いかといって、自分で自分を守ろうと必死になることほど辛くて苦しいことはない。 たとえば仕事でなにか失敗をして上司にこっ酷く叱られたようなとき、辛いのは失敗した瞬間でも叱られている間でもなく、「失敗して叱られている惨めな…

生活の中での瞑想

ヴィパッサナーを始めるまで、瞑想とは静かな場所で目を閉じ、じっと座ってやるものというイメージを持っていた。 確かにそういう瞑想もあるが、ヴィパッサナーとは詰まるところあらゆることに気づいてゆく瞑想なので、その気になれば起きているあいだ中、ず…

Twitter瞑想

長いことBlogの更新報告しか流していなかったTwitterを、最近またちょっと積極的に眺めるようになった。 ヴィパッサナー瞑想や初期仏教に関心のあるご同輩方と、Twitter上で緩やかな繋がりを持てたことがそのきっかけだ。 改めて使い始めてみて思ったのは、T…

無常、無我、苦

デジタルの時代に生きる私たちは、「無常」「無我」の真理に気づく糸口を得るということに関して、とても恵まれた環境にあると思う。 あらゆるものが刹那ごとに生滅を繰り返しているということは、コンピュータの中で展開される世界が実は0と1(電流のオンオ…

瞑想と姿勢/2016年8月31日 

なにか新しいことを学ぼうとする時、異なる著者が書いた複数の本を並行して読むクセがある。昔から「複数の異なる領域に共通する事柄は真理に近い」というような感覚が私にはあって、そうしたものに暗に影響されているのかもしれない。 一人の意見にはどうし…

2016年8月29日 痛みと痒み

座る瞑想をしていると、体のどこかに原因不明の痛みや痒みが現れることがある。 そういうとき、痛みよりも痒みの方が耐えるのが難しい。 痛みはじっと観察していればじきに消滅することが多い。しかし、痒みの方は大抵の場合、耐えられずに手を伸ばして掻い…