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瞑想オカン

ヴィパッサナー瞑想修行に勤しむ四十路オカンの日記

フィルタ越しの真実

ヴィパッサナーで座る瞑想をする時に、呼吸によって膨らんだり凹んだりするお腹の動きを観察する。

座り始めは、「自分の一部に腹がある」という感覚があるのだが、時折、腹の膨らみ、凹みが風船のように膨らんでいき、腹の中…というか、腹の膨らみ凹みの中に自分がいる、という錯覚に襲われることがある。

そういう時、私にとっての世界は、結局自分の心が作り出しているものなのだということをあらためて感じる。


この世界を統べる物理的な法則では、私の腹の中に私がいるなどということはあり得ない。
けれど、瞑想中に味わうそうした感覚は言いようもなくリアルで、その瞬間の私にとっては、それこそが「ありのままの事実」なのである。

そういうことが、おそらくこの世界の至る所で起こっているのではないかと思う。
私が「赤」だと思っている色が、他の人にとっても同じ赤に見えているかどうかわからない。
私に感動を与える言葉が、他の人をも同じように感動させるとは限らない。
もしかすると、瞑想中だけでなく、常に腹の中に自分がいるような感覚で生きている人もいるのかもしれない。


物理的な世界と、それを統べる法則は、確かにそこにあるのだろう。
けれど、私たちは瞬間ごとに移ろう「私」という不確かなフィルタを通してしかその世界を観ることはできない。次々に形を変えるいびつなフィルタ越しに見た世界が、私たちにとっての「真実」だ。

ヴィパッサナーによってこのフィルタの形はある程度明らかになるけれど、フィルタ自体が絶え間なく変化するので、結局は何も捉えることができない。

そういう虚しい試みの繰り返しからも、人は無常ということに気づくのかもしれない。


ヴィパッサナーは私から、物欲や金銭欲、人間関係への執着といった様々な苦しみを取り除いてくれつつあるが、明らかな悩みや苦しみを感じていない時にも、心の底に正体不明の失望感が泥のようにわだかまっている。

それはおそらく、無常の真理を未だ本心からは受け入れられずにいる私の中の何かが、必死の抵抗を試みているからなのだろう。