闘いからの卒業
生きている中でなにが辛いかといって、自分で自分を守ろうと必死になることほど辛くて苦しいことはない。
たとえば仕事でなにか失敗をして上司にこっ酷く叱られたようなとき、辛いのは失敗した瞬間でも叱られている間でもなく、「失敗して叱られている惨めな自分」を受け入れることが出来ず、なんとかして対面を保てないかと必死になって頭の中で言い訳を探している時ではないだろうか。
自我が幻だと気づくことでなぜ救われるのかというと、それに気づけば、もはや必死に「自分」を守る必要がなくなるからではないかと思う。
うっかり失敗してしまったときは、迷惑をかけたことについて関係者にひとこと詫びて、あとは事態を納めるためにやるべきことをやればいい。それでもどうしても心が騒いでしまう時は、生きとし生けるものの幸せをひたすら念じてみるのも良いと思う。
防衛というのは静的な戦いだ。
そして、戦いというのは苦しいものなのだ。
自我という幻を手放し、慈悲によって自他を隔てる垣根を取り去る努力を続けることで、私たちは闘いから卒業することができるのではないかと思う。