瞑想日記
最近、いわゆる「慈悲の瞑想」をあまりやらなくなりました。 そのかわり、というわけでもないのですが、ふと時間ができた時などに誰かの笑顔を思い浮かべています。 私が慈悲の瞑想をしていたのは、生きる上での苦しみを少しでも減らしたいという思いからで…
今日は朝から「デジタルで相互接続された世界における新たなビジネスリスクについて」というテーマの記事を書いていたのだが、先ほど情報の収集と整理が一段落し、記事の構成にもおおむねメドが立ったので、どれ、いっちょ気分転換に瞑想をするか…と座る瞑想…
先日、駅の待合室で座っていたら、泥酔した男性が入室してきて、見えない誰かを大声で罵倒し始めた。街へ出ればよくあることで、そういう時は目を合わせないようにして無難にやり過ごすのが、いつもの私のやり方である。 その時も手にしたKindleに目を落とし…
ヴィパッサナーを始めるまで、瞑想とは静かな場所で目を閉じ、じっと座ってやるものというイメージを持っていた。 確かにそういう瞑想もあるが、ヴィパッサナーとは詰まるところあらゆることに気づいてゆく瞑想なので、その気になれば起きているあいだ中、ず…
長いことBlogの更新報告しか流していなかったTwitterを、最近またちょっと積極的に眺めるようになった。 ヴィパッサナー瞑想や初期仏教に関心のあるご同輩方と、Twitter上で緩やかな繋がりを持てたことがそのきっかけだ。 改めて使い始めてみて思ったのは、T…
なにか新しいことを学ぼうとする時、異なる著者が書いた複数の本を並行して読むクセがある。昔から「複数の異なる領域に共通する事柄は真理に近い」というような感覚が私にはあって、そうしたものに暗に影響されているのかもしれない。 一人の意見にはどうし…
座る瞑想をしていると、体のどこかに原因不明の痛みや痒みが現れることがある。 そういうとき、痛みよりも痒みの方が耐えるのが難しい。 痛みはじっと観察していればじきに消滅することが多い。しかし、痒みの方は大抵の場合、耐えられずに手を伸ばして掻い…
何か辛いこと、悲しいこと、悔しいことなどがあって思わず涙がこみ上げる…という経験は、多かれ少なかれ誰にでもあるのではないかと思う。 私の場合、そういう瞬間の心を観察すると、根底に「自己憐憫」が隠れているのがかすかに見える。 涙ぐむきっかけとな…
座る瞑想。 目を閉じてお腹の膨らみ凹みに集中し、心が静かになってくると、高速で明滅する意識の断片のようなものが見えはじめる。 意識というものは一本のシームレスな線のようなものだと、以前は思い込んでいた。 けれど、今感じていることが間違いでなけ…
朝の瞑想。 目覚めて5分ほど布団の中で微睡タイムを過ごした後、起きて歯を磨き、顔を洗って、坐る瞑想をする。今日は息子の大学入学関係の用事でお休みを取ったので、少しゆっくり。 集中するために初めは呼吸の観察から入り、体に起こる感覚や心に湧き上が…