瞑想オカン

ヴィパッサナー瞑想修行に勤しむ四十路オカンの日記

2016年8月29日 痛みと痒み

座る瞑想をしていると、体のどこかに原因不明の痛みや痒みが現れることがある。

 
そういうとき、痛みよりも痒みの方が耐えるのが難しい。
痛みはじっと観察していればじきに消滅することが多い。しかし、痒みの方は大抵の場合、耐えられずに手を伸ばして掻いてしまう。
程度にもよるが、大体の傾向としてはそうであり、それは何故なのだろうかというのが、長年の疑問であった。
 
先日、瞑想中に痒みが現れた時、「痒み、痒み」から「掻きたい、掻きたい」へと移り変わる自分の心を観察していて、掻きたいという気持ちの背後に、何かを期待するような気持ちがチラリと見えた。
 
それで、引き続き注意深く観察しながら手を伸ばして患部を掻き下ろした瞬間に、恍惚とするような快感に満足している自分の心に気がついた。
 
ああ、なるほどそうだったのか、とそれで長年の疑問が氷解した。
痒みを取り除きたいという意思の背後には、痒みという不快に対する怒りと、痒みを取り除く瞬間に味わえる快感への期待が隠れていたのだ。
欲と怒りのダブルパンチでは、生半可な意思ではかなわないだろう。
 
以来、耐え難い痒みが湧き上がってきた時は、その背後にある「快感への期待」を捉えて「期待している、期待している」という気づきを入れるようにしているのだが、そのするようになってから、瞑想中に痒みが現れること自体が減ってきたような気もする。
 
「気づけば消える」ということが、ヴィパッサナー瞑想ではしばしば起こる。
人の心というのは、本当に興味深いものだと思う。